日々について

 

 

今まで出会って関わったすべての人間余す事なく全員が、街や空や風や自然と共に健やかに移ろいながら強く美しくそれぞれ生きてほしい。

 

 

譲れない物の為に身体を犠牲にする少女や、何かを守る為に必死に戦う大人や、狭い世界で孤独に耐えている子供達も。

整備された花壇の花も、ゴミが浮かぶ海も、汚されてしまった空気も。

全てに平等に明日が来て、それぞれ存在していると思うと、この世界というものが心底尊くて涙が出る。

 

 

 

私という人間は何様でも何者でもなくて、ただこの世界を構成する小さなパーツで、これを読んでいる貴方も同じです。大統領も発明家も犯罪者も、お父さんもお母さんも兄弟も、ただのパーツです。

力の強さも、頭の良さも、才能の有無も、全く無関係に、みんなそれぞれこの世界の1パーツに過ぎないのです。力が1番強かった人も、頭が1番良かった人も、才能がとってもあった人も、いなくなってしまえばまた代わりの人が出てきます。そうやって更新されながら世界はできています。

 

この世界を構成する大半の人は、力も、頭脳も、才能も無い何でもない人です。だけどそれぞれに生活があって、好きな食べ物や音楽、苦手なことや、仲のいい友人、愛する人がいます。この当たり前のような理論が、何て素晴らしくて美しいのだろうと日々思っているだけなのです。

 

当たり前に過ぎて行く一日、一日が、死にたくなるほど無意味で、死にたくなるほど美しい所為で、涙が出て、叫びたくて、どうしようもなくなってしまう。

 

 

日常だったものが全く変わって、慣れた頃にまた日常に戻る。

敏感でナイーブな癖に忘れっぽくて無関心な私には、とてもじゃないけどついていけなくて。

だから生きることを投げ出してしまいたくなって、ぼーっと座っていたら、日に日に暖かくなってゆく日差しや、植物の香り、明るい夜、そんな小さな事に気を取られて、もっと知りたくなって堪らなくなってしまいました。

 

なので私は明日も生きてみようと思います。

世界が美しすぎるので。