音楽について
音は聴覚で '聞く' ものだけれど、私はそれだけじゃないと思ってる。
小さい頃から音楽は当たり前のように流れて私の耳へと、テレビや街中や他人のヘッドフォンから、色んな旋律を響かせていた。
うまれてはじめて覚えたJ-popは、際どい衣装で黒髪にティアラを乗せた女が荒々しくも美しく歌う音楽だった。
周りの皆んなに合わせてジャニーズに心躍らせた時代もあったし、少し特別な風になりたくて外国の歌手に憧れたりもした。
だけれどやっぱり1番心臓が昂るのは、幼少期に嫌いな家で流れていた、もうこの世には存在しないバンドのサウンドだった。
こんな事を言うと嘲笑されるかもしれないけれど、私は音が '見える' 時がある。
正確には視界が音楽に合わせて霞んだり、淀んだり、晴れたり、明るくなったり、暗くなったりする感じ。あと、音楽に色が見える。
この曲は青いな、とか、何色と何色が混ざってるな、とか。筆洗の中の水みたいな、マーブリングのインクみたいな、そんなイメージ。
波形やヴィジュアルアートにして仕舞えば簡単なんだけれど、そうじゃなくてもっと感覚的に捉えられるもの。技術とか力量は関係なくて、フィーリングで、空気感で感じられるもの。
音にはその要素が多くてやめられない。
音楽って音を楽しむって書くじゃないですか、でも全然楽しくなんかない。
だって辛い時とか、どうしようもない時しか音楽って聞きたくならないもん。作る時も同じ、辛い時とかどうしようもない時しかいい曲つくれないじゃない。そんな天邪鬼な所も大好き。
悲しい時に聞く音楽、嬉しい時に聞く音楽、忙しい時に聞く音楽、誰にも教えたくない音楽、誰かが命をかけて作った音楽、金儲けの為に作られた音楽、別に聞きたくもない音楽、人生死ぬまでかけても聞き尽くせないくらい沢山の音楽があるんだもんなぁ。
音楽理論の事なんて何も分からないんだけど、シークバーを動かして再生ボタンを押すだけで誰でもあの人の気持ちが分かったような気になれちゃったり、あの日の後悔の意味とか、輝かしい未来とかが分かるような気がしちゃうんだから音楽ってすごいですよね。
お腹にいる赤ちゃんにはクラシックが良いって言うでしょ、ママがリラックス出来る曲を赤ちゃんにも聞かせるのがとっても良いらしい。
なら私はスチャダラパーを聞かせちゃう、夏ならね。春ならくるりとかがいいなぁ。
それで生まれてきた子供には音楽は好きにならないで欲しいな、だって音楽って切なくなるばっかりだから。
自分の葬式には何を流して貰おうかな、世界の終わりとか、破裂音の朝とか流して欲しいな。SWEETMEMORIESも流して欲しいし、駆け抜けて性春もRAINBOWも流してくれ。
耳が聞こえて本当によかった、音楽が好きになって本当によかった。子宮から墓場まで音の奴隷。
心の中の悪魔(くるり)
世界の終わり(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)
破裂音の朝(ZAZEN BOYS)
SWEETMEMORIES(松田聖子)
駆け抜けて性春(銀杏BOYZ)
RAINBOW(エレファントカシマシ)
日々について
今まで出会って関わったすべての人間余す事なく全員が、街や空や風や自然と共に健やかに移ろいながら強く美しくそれぞれ生きてほしい。
譲れない物の為に身体を犠牲にする少女や、何かを守る為に必死に戦う大人や、狭い世界で孤独に耐えている子供達も。
整備された花壇の花も、ゴミが浮かぶ海も、汚されてしまった空気も。
全てに平等に明日が来て、それぞれ存在していると思うと、この世界というものが心底尊くて涙が出る。
私という人間は何様でも何者でもなくて、ただこの世界を構成する小さなパーツで、これを読んでいる貴方も同じです。大統領も発明家も犯罪者も、お父さんもお母さんも兄弟も、ただのパーツです。
力の強さも、頭の良さも、才能の有無も、全く無関係に、みんなそれぞれこの世界の1パーツに過ぎないのです。力が1番強かった人も、頭が1番良かった人も、才能がとってもあった人も、いなくなってしまえばまた代わりの人が出てきます。そうやって更新されながら世界はできています。
この世界を構成する大半の人は、力も、頭脳も、才能も無い何でもない人です。だけどそれぞれに生活があって、好きな食べ物や音楽、苦手なことや、仲のいい友人、愛する人がいます。この当たり前のような理論が、何て素晴らしくて美しいのだろうと日々思っているだけなのです。
当たり前に過ぎて行く一日、一日が、死にたくなるほど無意味で、死にたくなるほど美しい所為で、涙が出て、叫びたくて、どうしようもなくなってしまう。
日常だったものが全く変わって、慣れた頃にまた日常に戻る。
敏感でナイーブな癖に忘れっぽくて無関心な私には、とてもじゃないけどついていけなくて。
だから生きることを投げ出してしまいたくなって、ぼーっと座っていたら、日に日に暖かくなってゆく日差しや、植物の香り、明るい夜、そんな小さな事に気を取られて、もっと知りたくなって堪らなくなってしまいました。
なので私は明日も生きてみようと思います。
世界が美しすぎるので。
麻酔
2020.4.6
今日は歯医者に行き抜歯をしてきました。
今年の目標のひとつ「歯の矯正」。
2月から順調に進めています。病院嫌いで飽き性の私がちゃんと続けられていて偉い、自分でもびっくり。
今日は左上の奥から2番目と前から4番目。
いつもの事ながら麻酔を打たれる時は心臓がバクバクして冷や汗が出ちゃう、けどそれって正常な事らしくて安心した。
麻酔が効いてくると唇がピリピリと痺れて不快、麻酔が効くまで待つ時間が1番こわかった、だってこれからペンチで歯引っこ抜くのを静かに座って待つんだよ?
ちなみにいつも担当してくださる院長先生は元々お知り合いのハンサムマッチョのお兄さんで、噂では親知らずを指で抜けちゃうらしい。本当か聞いたけど普通に嘘でした。ちゃんとペンチで抜かれました。
当然局部麻酔なので耳は聞こえてるし意識もあるわけで、口内左上の感覚だけなく、メリメリと歯が骨から剥がされる音だけが頭に響く。ちょっと癖になりそうでした。
急に歯が2本なくなったのでご飯が食べられるか心配で、帰り道に春雨スープとウィダーを大量に購入。
切れかけの麻酔の痺れと、止まらない血の不快感、未だ治らない心臓の動機を落ち着かせるため情緒的で刹那的な曲を爆音でたくさん聞きながら帰りました。音楽も精神麻酔の一種だね。
そんな音楽の精神麻酔の副作用のせいか、立教通りに咲く桜と自宅アパート前の夕日がとても悲しく見えました。
クリニックでの非日常的経験と、人の居ない街の非現実的光景。例年通りの惚けた陽気と喧騒がない春の街並み、春ってこんなに寂しい季節だったっけ?
何はともあれ鎮痛剤を飲み、興奮と痛みは少し落ち着いた気がします。だけど前言撤回、癖になりそうとか馬鹿か?もう二度と抜きたくない。(あと5本抜きますが)
追記:抜いた歯、記念に持って帰りますか?と笑顔でお姉さんに聞かれたが即答で断りました。誰がいるかそんなもん!
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春は人を不安定にする
散りかけた桜のせいか 部屋に差し込む日の光のせいか 汗ばむようになった額のせいか 目にしみる煙草の煙のせいか
心がいつもふわふわしている 何をしていても心ここに在らずといった感じ 心の居場所が何処にもない
本を読んでいても 散歩していても 授業を受けていても バイトをしていても 好きな音楽を聴いていても 美味しいものを食べていても
特に何も思わない 感情がないという言葉が正解
寂しいわけではない 悲しいわけでもつらいわけでもない ただ虚しいだけ、誰のせいでも何のせいでもないと思う
強いていうなら 春のせい